そのアパートの一室は、近隣住民から「開かずの間」と呼ばれていた。ドアの隙間からは、言葉では表現しがたい、甘ったるくも酸っぱいような、複合的な悪臭が常に漏れ出ていた。住人は、50代の単身男性。しかし、その姿をここ数ヶ月、誰も見ていなかった。異変に気づいた大家からの通報で、部屋のドアが開けられた時、そこに広がっていたのは、ゴミの山と、すでに亡くなっていた住人の姿だった。孤独死とゴミ屋敷。最悪の形で問題が表面化した現場の原状回復を依頼されたのは、特殊清掃を専門とする業者だった。現場責任者の田中さんは、まず部屋の状況を確認する。長年のゴミの放置による腐敗臭、そしてご遺体から発生した死臭が混じり合い、経験豊富な彼ですら顔をしかめるほどの強烈な臭気が立ち込めていた。「これは長期戦になる」。田中さんは覚悟を決めた。作業は、まず汚染箇所の特定と初期消毒から始まった。専用の薬剤を散布し、感染症のリスクを低減させた後、遺品整理とゴミの搬出作業に着手する。スタッフは完全防護服に身を包み、ゴミの山を一つ一つ丁寧に仕分け、運び出していく。全てのゴミが撤去され、がらんとした部屋が現れたが、悪臭は依然として壁や床に深く染み付いていた。ここからが、消臭のプロとしての腕の見せ所だ。田中さんは、まず汚染が最もひどかった床板を剥がし、その下のコンクリートまで洗浄・消毒する。次に、高濃度の消臭剤を部屋全体の壁や天井に噴霧し、臭いの元となる分子を化学的に分解。そして最後に、強力なオゾン脱臭機を部屋に設置し、数日間にわたって稼働させ続けた。オゾンの気体が、人の手の届かない建材の奥深くまで浸透し、染み付いた最後の臭いの分子まで破壊していく。一週間後、田中さんが再び部屋のドアを開けた時、あれほど凄惨だった悪臭は、嘘のように消え去っていた。そこには、ただ静かで、クリーンな空気が満ちているだけだった。それは、単に部屋が綺麗になったというだけでなく、一つの人生が終焉を迎えた場所が、ようやく安らぎを取り戻した瞬間でもあった。