私はかつて、誰にも見せられないほどの「汚部屋」に住んでいました。床にはゴミと物が散乱し、どこに何があるか分からず、必要なものを探すだけで一日が終わるような生活でした。そんな私から見た世界は、常に混沌としていて、どこか諦めに満ちていました。まず、汚部屋に住んでいると、常に「羞恥心」がつきまといます。友人を家に呼ぶことはもちろんできませんし、宅配便の受け取りや急な訪問者にも、扉を開けるのが億劫でした。自分の生活空間が他人に見られることへの恐れから、社会との接触を避けるようになり、次第に孤立していきました。世界は閉鎖的で、自分の部屋だけが唯一の居場所だと感じていました。しかし、その居場所も決して快適ではありません。次に、汚部屋は私に「集中力の低下」をもたらしました。視界に入る情報が多すぎるため、一つのことに集中することが難しく、常に心が散漫な状態でした。仕事や趣味にも影響が出始め、物事を最後までやり遂げることができない自分に、さらに自己嫌悪を抱くようになりました。部屋の乱れが、私の思考の乱れに直結していることを痛感しました。また、汚部屋は「時間の感覚」も麻痺させます。物が多すぎて、何かを探すのに膨大な時間がかかり、予定を立ててもその通りに進まないことが頻繁にありました。時間は常に足りず、何かに追われているような感覚でした。時間の管理ができない自分にも苛立ちを感じ、さらに自信を失っていきました。そして、汚部屋の最大の弊害は、「諦めの感情」でした。あまりにもひどい状況に、どこから手をつけて良いのか分からず、「どうせ私には無理だ」「もう一生このままなんだ」と、全てを諦めてしまうことが何度もありました。この諦めが、さらなる散らかりを招くという悪循環に陥っていました。しかし、ある日、このままではいけないと強く思い、小さな一歩から片付けを始めたのです。最初は苦痛でしたが、少しずつ部屋がきれいになるにつれて、私の心も少しずつ変化していきました。散らかった部屋から見た世界は暗く、希望が見えませんでしたが、部屋がきれいになるにつれて、世界は少しずつ色を取り戻し、未来への希望が見えるようになりました。汚部屋住人から見た世界は、物理的な乱れだけでなく、心の奥底に広がる絶望と諦め、そしてそこから抜け出したいという切なる願いが入り混じった複雑なものでした。